自分と和解したい。

日々感じたことを言葉にする練習です。

最近自分が嫌いになりすぎておかしくなりそう

最近自分が嫌いになりすぎておかしくなりそう

 

 

普通のことを普通にできる、しっかり者の自分、という理想がすごくあって、

それに反する行動をしてしまうたびに自分が嫌いになる。

 

待ち合わせに遅れてしまったり、忘れ物をしてしまったり、話題に付いていけなかったり。

今日は日焼け止めをみんな塗ってきてて、私は顔にしか塗ってなくて、借りて腕にも付けたけど、ちゃんと用意できてない自分っていうのがすごく嫌で自己嫌悪した。

 

待ち合わせも、今日は遅れてないんだけど、時間ジャストで、行ったらみんなもう来てて、もう少し余裕を持った付きたかったって自己嫌悪。

 

頑張って努力して、理想の自分にならなきゃって思ってる。

出来ない自分は嫌だ。

 

そうやって本当の自分を否定しているから、自分にずっと自信がないんだと思う。

 

会話の端々で、それ変じゃない?とか、下手だねー、とか言われると、冗談ぽい会話でもすごく辛い。

 

変な自分でも、下手な自分でも、自分だけは自分を許せたらいいのに。

 

変な人って思われたくないって防御が働くから、いつも上部だけの会話しか出来なくて、誰かと話すのと疲れたなと感じる。

 

こんな人生は、ずっとこんななのかな?

ずっとこんなだと思うと悲しくなる。

10月の日記です

ここ数ヶ月はなぜか心が落ち込むことが多くて、色々と心理的な本を読んだり調べたりしました。それはそれでとても勉強になるし参考になったけど、なんかでも全然改善しないんですよね。メンタル。

ということで、もう一旦考えることをやめよう。全てを。今月は思い切って、あえて心理的なことには触れずに、とにかくテレビとか娯楽に集中しました。

今までほとんどスルーしていた金曜ロードショーとかも、もしかしたら気晴らしになるかと思い、映画館で見た以来の久々にハリーポッターをちゃんと見ました。

そしたら意外と、思うところがあって。賢者の石の、「自分がなりたいと思う自分の姿を映し出す望みの鏡」ってあるんですけど、あれ深いですね…。満たされている人が見ると、ありのままの自分が映る鏡。きっと私が見たら、絶対にそのままの自分とか映らないんだろうなって思いました。色々と無理のある「理想」が映るんだろうなって。私がなりたいものとか、足りないと思っているものってなんなんだろうって考えました。

それが良い経験だったので秘密の部屋もちゃんと見ました。アズカバンも見ます。ファンタビも見るけど、テレビでやるの最新話?ならその前の話も探して見ておこうかな。

 

今まで流行に乗ることが好きじゃなくて、流行りの歌とかお笑いとかもどっちかというと嫌いで、ミュージックステーションとかM1とかも全く見ない人間でした。

でも最近は、みんなと同じ話をするというただそれだけのために流行に乗ってもいいかなとガチで考え始めています。中学生みたいな話ですが。

そういうわけでやや遅れていますが鬼滅を履修しています。今一番売れている作品というのにも純粋に興味があり。

アニメ今15話まで見て思ったけど、残酷な話ですね。元が優しくて臆病だった子どもに、怒りを原動力にして闘う術を身につけさせる、っていうのがなかなか…と思いました。今までのジャンプの主人公だともう少し主人公が前のめりに「◯◯に俺はなる!!」とか、復讐動機にしても自分から自然とそういう気持ちを持っていた感があるんですが、鬼滅って「追い詰められてそれしか道がないから」鬼を斬る道を選んでいる感じがあり、初めは受動的に入ったものでもだんだん「自分から進んでやる」ようになる、その入り方に戦争味があって残酷さを感じます。

しかも設定が「大正」というところが余計に救いのなさを感じます…。差別とか自己責任論とか、過去の時代の生きづらさって現代の生きづらさの比にならないものだと思うので。

今の子どもたちはこういうものを摂取して生きてるんだな。

 

日記、一ヶ月に一回は書けたらいいなーと思います。

 

気持ちを言葉にする練習。

めちゃくちゃ久しぶりにはてなブログにログインして記事を書いています。

最後に更新したの、まさかの3年前!

そしてその3年前の記事の中に「誰も読まなくても、未来のわたしは今日のわたしが書いたものを読むだろう」と書いていて、なんかもうその通りになっちゃって笑いました。

3年前の自分!読んでるよ!笑

 

あれからかなり環境が変わって、私が考えていることもだいぶ変わったように思います。

これから書きたいのは、どんな本を読んでいるかとか、どんなことにお金を使ったとか、毎日の行動とそれを通して感じた感情についてです。

私はもっと人とうまく楽しくおしゃべりできるようになりたいんです。

言葉が追いつかないなら、書くことで整理することからでも始めよう、と。

 

3年前のブログ記事、意外と面白かったです笑

だからもう一度続けてみよっかなって。

 

というわけで、どうぞよろしくお願い致します。

 

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「ことりの肖像」読書感想文。(RT解禁)

かかり真魚さん「ことりの肖像」の読書感想文です。ガチなネタバレはないと思うけど、内容にちょっと踏み込んだ部分はあるので、注意してください。

真魚さんの書く言葉が好きで、真魚さんの書かれたものをたくさん持っているけど、ちゃんと分かるものってあまりなくて(ていうか真魚さんに限らず、わりと「このひとの言葉が好き、でも正直作品は難しくてあまり分からない、でも好き」みたいな現象は多々起こる。ニーチェキルケゴールもそんなに分かるわけじゃないのに言葉が好きで文庫本集めてしまう)。でも、おそまつさんの二次創作は、分かるんですよ。分かる。自分でも正直「は???」って感じで…なぜ真魚さんの言葉がわかる…?だってわたしおそまつさんアニメで二話まで見たくらいで、ほぼ原作知らないのに!しかも真魚さんの最初に読んだやつ短歌本だったんですよ…わたしそれまで短歌なんて読んで分かったことほぼなかったんですよ…。今回、小説本読んで、それもすごくスッと入ってくるので、ほんとうに衝撃でした。おそまつさんって一体なんなんだ。

まず、序盤から中盤。一松が直面するありとあらゆる描写がひとつひとつグサグサ刺さる。音楽の魂の話。国語便覧の話。一松がもう一松ってそんなんだったの!?という衝撃。つい、デフォルメされたキャラクターのように見ていたけど、ちがう。すごく生々しくてすごく人間でくるしい。アニメ二話しか見てないので六子の違いが正直分からなかったんだけど、これすっっごく分かりやすくて辛い。え、全然違うじゃん。別人じゃん。こんなに溝があったのか。六子なのに。

こんな感想は低俗かもしれないのですが、変に真面目で周囲に溶け込めない部分はわたしの中にもあるので…、そしてまさかおそまつさんの中に自分のそんな部分を見つけるとは思わなかったので…、中盤までずっと一松のことしか見えなくて、一松と同じ視点でずっと心臓を揺さぶられてた。だから、後半の告発はつらかった。なんで十四松がしゃべれなくなったのかなんて、考えなかった。そういう自分勝手な弱さに、気付かなかった。ほんとうに。

あなたは真面目だから大丈夫。という言葉の裏に隠された、あなたはわたしたちとは違う、という線引き。真面目なんじゃなくて、何も無かっただけなんだ、と気付く時の喪失感。愛されたいと願って初めて、愛されるだけの素質を何も持っていなかったと知る。そのときの、言葉にできない寂しさ。

ふと気付く違和感、何かが違うのに、みんなには伝わらない。最終的に、具合が悪いの?なんて言われてしまう。もちろん言ってる方には何の非もない。どちらかというと優しさの部類だ。でもそれは、自分だけが違うのだ、という孤独をよりくっきりとさせる。これ以上は、何かを言えば言うほど、孤独になるだけだ、と。

好きなものはたくさんあるのに、それをコミュニケーションの中の言葉に変換できない。わたしはたぶんずっとそうで、だからずっと寂しい。ドストエフスキーとか、めちゃくちゃ好きなんだけど、どこがどう好きとかそういうのうまく言えない。音楽の魂の話がほんとうにそうだった。好きなものは、こころの弱いところをぎゅっとするものだから、簡単に触れられたら痛い。知らないと言われたら傷付くし、どうして?と言われたら言葉が続かない。大切だから、手放したくなくて、キャッチボールが出来ない。距離の詰め方が分からない。ひとりの方が楽だし、と思う、思うようにする、その方が寂しくないから。実際に、それで傷付く頻度も減る。どうして?と聞かれることもないので、困ることもなくなる。でも、ふとした瞬間に、寂しさが浮き上がってくる。

みんなが誰かと楽しそうに話していて、自分もたくさん話せる友だちが欲しかったんだ。でも、傷付くのが嫌でひとりを選んでいるのは自分なんだ。それでぐるぐるいろんな気持ちになる、そんなことをもう何年もやっている。大人になっても。なんなんだよ、と簡単に笑い飛ばせたら。そうできない真面目さが、なんか、合わさってしまって、、、!

十四松がそうなったのは一松にいさんのせいだ、という告発、それを今までどうして一度も考えたことがなかったのか、という非難。ほんとうに自分が直接言われたみたいにショックだった。それをほんとうに 考えたことがなかった という 言葉にならない事実。優しさは変わって無くなってしまったと思っていた、それはほんとうに自分勝手な解釈だった、十四松はずっと優しかった、のに…!

そこからのラストへの疾走感が、もうほんとうにほんとうに好きです。157pと158pの十四松の言葉をそのまま全部引用したいくらいです。「他の人はぼくらじゃないから、ぴかぴか光ってるのを一緒に見れないし、あんまり良く分かんないんだね。でもぼく、ときどきそれでも良いと思う。全部わかってもらえなくても、きみがたまにぼくのことをわかってくれるのが、しあわせ。(だから、)/あんまりとおくに行かないでね!」。うー、ちがうこれここだけ抜粋しても全然分からないと思うのですが、ずーっと一松視点で読んでいてこれだと、ほんとうに泣くよ!!!泣くよ……。

文フリの帰りの新幹線から、ご飯も食べないでぶっ通しで読んでしまった。降りる駅を逃さなかったことを褒めたい(あぶなかった)。

いい大人なんだし、こんなやつに感情移入してどうすんだよ。とは思い、それを笑い飛ばせない真面目さもある。けど、たまに言葉が分かるよね。なかなか友だちができなくて、ほんとはずっと寂しくて、でも分かる言葉があったよね、と思う。きらきらしたのがあったよね。それだけでここまで来たんだ。そういう生き方でも良いんだよって、小鳥の声をレンタルしてまで伝えようとしてくれる、十四松の優しさが心に染み渡るようでした。ほんとうにほんとうに大好きです。

とりとめなくてすみません。おそまつさん、原作みます、ちゃんと。そしてアニメ二期、もっとわくわくさせてくれるといいな。

素晴らしい作品を書いてくれて、ほんとうにありがとうございました。

カルチャーショック

友人に招待されて、初めて結婚式に行った。なんだか、自分とは全く別次元の世界で、すごくカルチャーショックのようなものを感じた。たくさんのひとの目の前で、新郎新婦の家族構成とか馴れ初めとか発表されるんですよ。それって、新郎新婦共に家族円満だったり、馴れ初めが至ってクリーンでなければ出来ないことじゃないですか。なんか、圧倒的多数派の威力を見たというか…。あと、ご両親への感謝の手紙とか、育ててくれてありがとうございます、とか。いや、わたしの家庭だって別に仲悪かったわけでもないんだけど、でもそういう感謝の言葉みたいなのって、学校教育時代に半強制的に言わされたのしか知らないし、結婚式にまでそれがあるのか…とわたしは思ってしまった。いや当然なんだけどさ。でも、わたしにはそれはちょっと美しすぎる。ちょっと美しすぎたよ。せっかく大人になって、自由に動けるのだから、もっと本音を言いたい。みんなを楽しませるために挙式するんだと言われればごもっともなんだけど、結婚という特別な記念の日にするなら、わたしはもっとわたしが等身大でいられるようなものを望んでしまうな…。

難しいな、人生は。どうしてただ生きているだけじゃ満足いかないんだろう。難しかった、とても考えさせられて、今日は良い機会だった。みんなが良いというものが、自分にも良いとは限らないんだ。

友人はきっと幸せになると思う。友人らしい人生で、友人にとっては幸福だと思う。それは心から祝福している。

だからわたしも、自分がほんとうに欲しいものを、違えないようにしたいと思った。欲しくもないのに、みんなが欲しがるから自分も欲しいような気になって、みんなが持ってるからってそれだけで卑屈になったりとか、しないでいようと思った。ほんとうに大切なものだけひとつ、手のひらにあればそれでいい。

がんばるね。他の誰でもなく、わたしはわたしがなりたいわたしになろう。